~前編からの続き
しかしいくら戦後に開発した商品だといってもこの「きりたんぽ鍋」の原形は、
この地方に昔からあっただろうということは想像できる。
それはこの地方に多かった又鬼(マタギ)が山に入る際の行動様式。
マタギが山にはいるとき、
保存食として数日分の糒(焼きを入れたりして乾燥させた飯)を持って入る。
単に握り飯を焼くだけでは表面しか糒にならず、中身はそのままなので日持ちが良くない。なので、木の枝の周りに飯を延ばしてつけ焼いて作った。
そうすることで表面積が格段に広くなり、保存期間が飛躍的に伸びる。
それだけ山に狩猟に入れる期間が延びるということだ。
それは、形状が「槍の穂」に似ているため「短穂(タンポ)」と呼ばれた。
そして、焼きしめた飯を山中で戻す。
戻すためにはお湯が必要で、それにはやはり鍋が一番だ。
平地とは違い、山中では米は貨幣ではない。
単なる、しかし命をつなぐ、大切な炭水化物に過ぎない。
そして鍋を成立させるための具材には事欠かない。
なにしろマタギは山中で狩猟をしているのである。
だから、兎、雉、山鳥などの小動物には不自由しない。
仕留めた山鳥を捌いて無造作に鍋に放り込む。
そしてその辺りに自生している舞茸やサワモダシなどのキノコ、山菜をいれる。
それに、タンポを入れれば「きりたんぽ鍋」だ。
このように考えると、発祥の背景としてはすべて理に適っている。
きりたんぽの「不可解な形状」や「米を鍋に投入する不思議」など、
すべて解明できる。
実際この秋、私もやってみたのだ(さすがに山鳥は仕留めれなかったが)。
山で調達したものだけで作ったきりたんぽ鍋
こういうマタギの行動習慣を発見した大館市在住のアイデアマンの誰かが、
「きりたんぽ鍋」を考案した。
というのが詰まるところなのではないか。
比内の平地の人口集中地帯に住む一般庶民の食文化ではなかったのではないかと思う。
無論、勝手な妄想ですが。
~後編に続く
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