10代の頃、川反で飲む金がなかったので、常に有楽町で飲んでいた。
それも週に5回とか。
行く場所は決まって「鳥菊」という焼鳥屋。
今はもう、ない。
我々の仲間は決まってここで飲んだ。
気のいいオヤジがマスターで、
いつも酔っぱらって鳥を焼き、
マンドリンを弾きながらテーブルをまわって客と酒を飲む。
戦後の若い頃、三沢でjazzバンドのdrumをやっていたらしく、
アメ公相手にやりあった話だとか、ヒロポンの話だとか、
いろんな武勇伝を半強制的に聞かされた。
アメリカがいかに豊かだったのか、
マスターから聞かされた話は常に生々しかった。
初めて寺山修司を読んだとき、
まっさきに思い出したのはマスターだった。
戦後の青森、三沢、進駐軍、アメ公相手のjazzBar・・
同じ情景が浮かんだのだ。
マスターは酔うと、
米兵相手に鍛えられた「カルカッシ」を俺たちに伝授しようと、
いつも言っていた。
私はそれを波動拳とか竜巻旋風脚のようなものだと思っていたが、
たぶん違っているだろう。
が、それは結局、伝授されないままマスターは死んでしまった。
もう10年も前になる。
いろんな人のおかげで自分という人格は良くも悪くもできあがっているが、
マスターに創って頂いた部分も確かにある。
現在、行っている事業の基礎のほとんどは、
こういう焼鳥屋の空気、会話、雑踏から生まれた。
懐かしいよう。
会いたいよう。
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