松本経由で東京に帰るということで、諏訪で途中下車。
甲府から高い山の狭隘な隙間を電車がゴトゴト走る。
ここまで来ればもうどこを見ても山なのだ。
この壮観は、正直、私のような海と大河と平野に住む秋田人には、
少々息苦しく感じる。
東北の山とは全然違うのだ。
山がまとまってこちらに迫ってくる感じがある。
それにしても、どこを見ても2,000m級のすごい山々なのだ。
それもそのはず、ここは日本のフォッサマグナ(大地溝帯)と言われ、
山の本場なのだ。
平地はわずかしかなく、たまにある平地(松本平、善光寺平)でさえも、
山と山のあいだの「シワ」って感じなのだ。
その無数の小さな「シワ」の中でも、
この諏訪湖周辺は古来から、
山岳小都市群のオアシス国家のような役割をしていたのかもしれない。
湖というよりは「大きな水たまり」のような湖だ。
しかしどこに行っても雨で腹立たしい
晴れていれば湖面に周りの山々が見えたのだろうか
16世紀の中頃、領土拡大を図る武田軍はまずこの諏訪に襲いかかった。
強大な軍事力で諏訪氏を滅ぼし、しかも非道にもその娘を側室に入れた。
その絶世の美しいを娘を湖衣姫といったのだが、
彼女と信玄のあいだに生まれたのが、諏訪四郎。
要するに、武田勝頼だ。
後に、四男だが武田の家督を継いだ。
武田氏に滅亡させられた諏訪氏だが、
結局、武田は諏訪の血が乗っ取ったのだ。
イングランドとスコットランドの争いを描いた映画「ブレイブハート」を思い出すね。
湖衣姫の顔がソフィー・マルソーに見えてきた。
湖畔の銅像を湖衣姫と思って近寄るや、八重垣姫という人の銅像だった・・
それにしてもこの湖はなんか女性的だ。
湖衣姫に八重垣姫に熊ぇり・・。
おっと、そうだった。
あの熊ぇりも諏訪なのだ。
時間があればあの「熊ぇり」を偲ばせる遺跡にも触れてみたかったのだが、
それはさすがに時間がない。
メールはこちら → t.uppercut@gmail.com