Tiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮
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長州人の怨念か

2008 年 1 月 31 日 木曜日

なんで日本海沿岸道路(高速道路)は秋田までちゃんと繋がらないのだろう。
あれが新潟まできちんと繋がれば秋田の選択肢は多少広がるのだ。
今まで仙台経由で東京を見ていた秋田人は「新潟」を振り返り、
忘れていた「北前の記憶」を思い出すだろう。
だから我々、西海岸の人々の未来のためには絶対に必要な幹線なのだ。
しかし、日沿道は遅々として繋がる気配がない。
もう呪いにでもかかっているとしか考えられない。

「白河以北、一山百文」というこの呪いの言葉は、
現在においても今だに解けない強力な呪文だ。
この呪いをかけたのは、明治政府における薩摩人でも土佐人でもなく、
戊辰戦争で会津城を攻め落とした長州軍の一人だったに違いない。
というのも長州人は幕末、
会津藩及び新選組を中心にさんざんいじめられ、追い詰められ、
ついにそのいじめに薩摩も加わり京都を追い落とされ、
そして日本人全員を本当に敵にまわす羽目になった(第1次、2次長州征伐)。


(京都守護職・会津藩主 松平容保)

このときの長州人の苦労といったら余人に理解できるものではないだろう。
多くの長州の若者、庶民、女子供がその間、無惨に死んだのだ。

数年前、仕事で会津若松市に行ったとき、こういう話を聞いた。
娘が結婚するということで、
フタをあけてみたら相手は萩(長州の藩都)の青年だという。
結婚式こそ東京でやったが、最終的には親族同士で殴り合いになったという。
今だにこういう話が生々しい。
つまりこの二つの地方に住む人々は幕末以降、不倶戴天の天敵なのだ。

もともと観念的で粘着質。
悲観的な理想主義者で執拗な性癖を持つ長州人(まあ日本人の典型ともいえるのだけども)。


長州閥の親玉 山県有朋


井上馨

そういう彼らが明治維新の結果として手にした政権は、
その呪いの言葉通り、徹底的に会津を中心とした東北を無視した。
東北を無視して、いきなり北海道経営にうつつを抜かし始めた。
アメリカ式の開拓手法でどんどん農地化していき、
様々な投資を北海道に対して行った。
東北を飛び越えて、である。
そして、その北海道に飽きると今度は日本海を越えて、朝鮮に食指を伸ばした。
さらに昭和期に入ると、満州を略取し、その経営に躍起。
その間、東北はまったく置いてけぼりで、
兵と資源だけを中央に送るという役割を国家の中で担わされた。

西郷や大久保などの薩摩人が政治の実権を握っていたら、
日本における東北の位置はあるいはもっと違っていたかもしれない。
しかし彼らが新政権の舵を握り得たのは明治11年までだった。
その後の政権運営を担当したのは、
伊藤博文や山県有朋などの、
京都では会津藩や新選組の刀槍をかいくぐり、
四境戦争では何度も死を覚悟しなければならないほどの、
地獄の辛苦を東国諸藩に味合わされてきた人々だったのだ。

そこに近代東北の不幸もあるのかもしれない。
あれから150年も経ち政権からは長州人が去ったが、
呪いだけは今だに解けていないのだ。

それにしても秋田は裏切ってまで薩長についたのだから関係ないのに・・・。

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プロフィール
     投稿者: TU
     紹介: 秋田市在住秋田人。会社を創業、 そして経営。現在30代前半。 人生の真夏。 好きなもの=「秋田」
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