私、県外の人と交わる機会が非常に多い。
みなさん秋田というとだいたい秋田美人と連想するらしいので、
当然、秋田美人について問われることが多い。
しかし、いつもまともな回答ができずに冗談で流してしまう・・。
秋田美人について意外とみんな知らないんでないの???
そうふと考えてまわりを見たら、
みんな知ってる振りをしてるが、実は本質をつかんでないようだ。
そこで我々、秋田人としてはキッチリ回答せねばならないので、
秋田美人について想いを巡らし少し考えてみた。
他県の人に説明するための一助になれば幸いです。
わか杉国体もあるのでね!
が、断っておきますが完全に自論で、
ほぼ通勤バスの中で考えた知識程度のことなので、
科学的な実証による根拠があるわけではないですが、
おそらくみなさん全くもって納得いくことでしょう(細かいツッコミするなということです(笑))。
では、はじめましょう。
秋田美人の由来に関して、都市伝説めいた説がいくつかある。
その中で、
「佐竹氏の秋田入部の際に、腹いせに水戸からすべて美人を連れてきた」
→
「だから秋田は美人の産地で水戸はブスばっかり。」
という話をよく聞くが、これはもちろん冗談だ。
佐竹家は当時、嫌がらせのような減封移封のおかげで相当困窮しており、
どうしてもやり繰りできずに、かなりの家臣団を放免して水戸に置いてきたほど。
そういう状況下で、
美人だからという理由だけで大量に連れてきたりできるものだろうか。
美人でもブスでもいいので、できるだけ縁故・功臣の資格ある者に限られただろう。 また、義宣公が美人好きで強権発動したと思われる節もないではないが、
義宣にはそこまでの専制権はまだ確立していないし、
義宣の判断(石田三成との個人的人情)で、
関ヶ原で西軍に着いての処罰的国替えなので、家中の雰囲気は相当悪かった。
その中での独断専横は不可能だろう。
秋田移封後は、渋江内膳とともにわりと男らしい改革をするのだが。
また、仮に水戸から連れてきたすべての人間が、
全員女で、しかも全員美人だったとしても、
常陸移民は当時の人口(約30万人)の1%にも満たなかったので、
秋田美人のルーツとしての証左にはまったくならない。
微塵の影響も与えていないだろう。
この説は無視していい。
jokeとしては使いやすい説ですが、
以後、あまり酒の場などでも言わないようにしよう。
こういうのは誤って広まり安いし定着力も粘着力も強いので。
秋田美人は、水戸のブスなどとは全く関係がない。
水戸のブスの人こそいい迷惑だろう。
秋田美人は、もっと秋田人が誇るべき、深いところに根ざしている。
次回へ続く→ 「秋田美人考 ~ロシア人起源説」
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