幕末。
嘉永安政の頃、黒船来航。
黒船サイドからすれば、日本という小さい島々に住む種族は、
ちょんまげなどヘンな頭して虚勢を張ってわめく小心者の野蛮人にみえただろう。
事実、黒船を目の当たりにした日本人の狼狽ぶりは相当のもので誰もがビビり、我を忘れた。
しかしその混乱している多くの日本人の中で、
冷静に、いや、ワクワクしつつ、なんと!
「俺もあれつくってやろう!」
と思ったヤツが少なくとも3人いた。
薩摩藩主島津斉彬、宇和島藩主伊達宗城、そして肥前佐賀藩主鍋島閑叟。
いずれも賢候といっていい名君だ。
しかもなんたる有言実行ぶり。
彼らは黒船来航後なんとわずか3年で自作の黒船を国産化してしまう。
さらにその勢いで肥前佐賀藩などは
アームストロング砲などの各種洋式兵器も国産化をやってのける。
素晴らしき哉、日本人。
こんな民族、世界中どこにもいない。
こんな彼らだから類い希な日本防衛からくる国づくりの理念をもっていた。
彼らのビジョンを見るにもう時空を超越しているとしか言いようがない。
そのうちの一人島津斉彬などは、
「日本という島国では海岸防衛は無理。九州の諸藩はニュージーランド、山陰山陽諸藩は中国の直隷平野、東北諸藩は沿海州を渡り満州を抑えて防衛ラインを張り、日本、清国、朝鮮の三国結んでロシアや英仏などのヨーロッパ勢力から日本を防衛せよ。」
と言っている。
これって大東亜共栄圏じゃないの???
これが昭和初期の頃の話しではなく、安政の頃の話である。
西郷は初めて江戸の土を踏んだ頃で、龍馬はまだ土佐にいるし、晋作は吉田松陰にまだ出会ってもなく、石原完爾はまだ父親さえ生まれていない。
そういう頃の話である。
そのとき、鍋島閑叟の説として、
「いやいや島津案では現実的でない。南方は捨てて、帝都を羽州秋田に移して、沿海州から北方を経略しよう。」
という案があったという。
・・・いやーまじですか。
いいんすかまじで。
こんなこと言われたのって初めてなんですがって感じで照れるんですが。
いや~鍋島閑叟もいいとこつくね~。
おれもそう思うのよ。
そっちの方が現実的だと思うのよ。
いやーほんと秋田に移転したらいいと思うよ。
日本のために絶対いいと思うよ。
もしあれだったら手伝うよほんと。
いつでも言ってくださいよカンソーさん。
私の実家のある集落は、
東北戊辰戦争最終局面で鍋島佐賀藩兵に焼かれました。
一村全焼です。
しかし、佐賀人め、許してやるとするか。
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