今からたった150年前、日本が真っ二つに別れて戦った大戦があった。
「戊辰(ぼしん)」の年に起こった出来事だから、その大きな内乱を戊辰戦争という。
日本人は、
幕府軍や会津藩、庄内藩などの東北雄藩などからなる通称「幕軍」と、
いわゆる薩長土肥から構成される「新政府軍」に別れて、
京都から函館までの各地で民家を焼野原にして戦いまくった。
結果は、周知の通り新政府軍の勝利。
戦力だけをみるとは10倍近かった「幕軍」があっさり負けたのである。
この時、どの地域が新政府に味方し、
どの地域が敗者であったかを明確に後世の日本人にわからせるために、
明治政府がある烙印を押したことをご存知だろうか?
革命に貢献した、いわゆる英雄的な地域は、
その当時の藩都(城のあった都市)の名前がそのまま県名になっているのだ。
例えば、新政府軍の主力である薩長土肥はこんな具合。
薩摩藩 → 鹿児島県 →鹿児島城のあった都市名
長州藩 → 山口県 →山口政庁のあった都市名
土佐藩 → 高知県 →高知城のあった都市名
肥前佐賀藩 → 佐賀県 →佐賀城のあった都市名
福岡県や広島県、岡山県なども同様。
ちなみに秋田県も同様にこのグループに入る(久保田城のあった秋田が県名に)。
その反対に、日和見だった地域や敵対した地域にはくっきり烙印を押してある。
敵対した藩は主に東国だったので、
東日本の県のほとんどがそういう烙印を押されている。
たとえば石川県などは最後までどっちつかずの日和見だったために、
本当は金沢県となるはずべきのところをなぜか石川県・・。
県内のどうでもいいような地名をとってきてつけられたそうだ。
譜代の小藩がたくさん別れていた関東平野も、
栃木、茨城、群馬、神奈川など、かなりのこじつけでやられているし、
東北などはもっとひどい。
新政府軍の最大の攻撃目標だった会津藩に関しては、
城下の若松市に政庁も置かず、
わざわざ福島という小さな盆地に移し替えられ、
福島県というどこにでもありそうなどうでもいい地名を県名にされている。
仙台県でなく宮城県、盛岡県でなく岩手県。
だけならまだしも、
上記2県は旧領を真っ二つに分割されてニコイチにされている。
おかげで、南部地域は不倶戴天の仇敵である津軽地域と同じ県としてスタートしなければならなくなった。
権力というのは一皮むけば、感情的でヒステリックな女みたいなものなのだ。
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