闘病中の叔父が先日亡くなりました。
ようやく火葬が終わり、あとはお逮夜と葬儀を残すのみ。
慣例によって毎晩叔父さん宅に行き、
一緒に飯を食い、一緒に酒を飲み、一緒に泊まるという日々を過ごしています。
これは葬儀の日まで続きます。
叔父さんといっても今回の叔父さんは、親父の兄で長男。
本来、家を継ぐべき人物であり、
ずーーーっと今まで、我が一族の精神的な支柱でした。
私の家は私で5代目ですが、100年後の誰かが家系を顧みるときに
「伝説の男」として語られるであろう重要な人物。
私の人生にもいろいろな意味でものすごい影響を与えてくれた人物です。
常に我が道を強引に突っ走り、周りを引っ張っていく。
その姿がとてもイキイキとして楽しそうに見え、
幼な心に「大きくなったら叔父さんのようになりたい」と思ったものだ。
行動力があるが、わがまま。
頭は良いが、口が悪い。
叔父さんの冗談にはその場にいる誰もが酔った。
派手好きで、寂しがり屋。
大酒を飲み、大酒を飲み、大酒を飲む。
敵は多いらしいが反面、あれほど人に愛された人もいなかった。
「+20」
と、棺を囲んで毎晩開かれる飲み会でこのことが語られる。
67歳で死んでしまったが87歳まで生きたくらいの濃密な人生だったという意味だ。私はプラス50だったと思っている。
それくらいこの人は濃密な時間の中をぶっ飛ばして走った。
おもしろいことにその席上、故人を偲んで、ほめる人はほとんどいない。
みんな文句ばっかり言っている。
「何度もぶっ殺してやろうかと思った」という人までいる。
しかしみんな号泣しながらそう言っているのだ。
この矛盾の中に叔父さんの人間性の本質があった。
私にとっても、偉大なリーダー。
偉大な社長だった。
私がこの叔父さんになるとしたらもう100年かかる。
目標とする偉大な人物でした。
遺言により、葬儀は親族のみによる密葬。
死亡広告など出すと届く花輪だけで自宅の黒塀のまわりを二周してしまうという。
それでも毎晩どこかから聞きつけてくる大勢の友人や仕事仲間が、
「葬式だけはなんとか出席させてくれ」と涙ながらに訴えにくる。
昨年、自ら創業した会社を引退。
3ヶ月という闘病期間の末、ついに入滅。
主治医からは「もう助からない」とはじめから言われていた。
私は胸が痛い日々をその間ずっと過ごしていたが、
忙しさを理由に?病院からは足が遠のいていた。
偉大な叔父さんが弱っている姿を見るのが怖かったのかもしれない。
この点、多少の後悔が胸を掻きむしります。
そのせいか、なんかまだぽっかりしています。
毎回毎回、私を突然襲う大切な人の死。
年を重ねるごとにその襲撃期間が短くなっている気がします。
合掌。
メールはこちら → t.uppercut@gmail.com