高い山地のシワを縫って松本平に列車は到着。
ここまで来ると周囲の山々は3,000m級だ。
もう圧巻としかいいようがない。
ここの松本平という平地はこの辺ではわりと広大なものらしく、
善光寺平(川中島、今の長野市)と同様に古くから栄えた地域だ。
諏訪は南寄り、長野は北寄りにあることもあってか、
中心に位置するこの松本平に信濃国の国府が置かれたのだ。
それから廃藩置県で長野県となるまで、
信濃国の首都は名実ともにこの松本だったのだ。
当時は深志と呼んだらしいが。
信濃源氏の小笠原氏がこの地に長らく君臨し、
頼朝以後は、その流れを汲むものたちが多く秋田にも下向した。
矢島の大井氏、仁賀保氏、打越氏、小助川氏、赤尾津氏、羽川氏などの
由利十二頭といわれる秋田に割拠した小豪族たちも、
もとは信州小笠原源氏を祖とするといわれている。
それほど、一級品の自然と歴史に恵まれた街でもあるのだ。
やはり松本も雨だった・・
松本城まで歩くまで、雨の街中を歩きましたが、
とてもこぎれいに整備されていて、気持ちがいい、美しい街でした。
とても人口が20万人そこそこの街だとは思えないエネルギーを感じました。
やはり観光客が多く訪れる街だからだろうか。
観光の目玉はもちろん、国宝・松本城。
まぎれもない国宝の城郭なのです
現在、日本には松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4つの国宝がありますが、
私は初国宝です。
いつも長曽我部の岡豊城とか南部の三戸城などの、
シブい山城を見て歩くことが多いのですが、
そういった城とはまったく趣が違います。
なにしろ建物がそのまま残っているんですから。
必然、その城の背景や歴史的なものよりも、城自体に興味が行ってしまいます。
当時そのままの城郭が目の前にあるのです。
戦国末期にタイムスリップしたような感覚になれます。
そして内部。
ここから銃や弓を射て城に接近する部隊を倒したのです
武者溜まりです。
籠城戦の際にはここに何人もの武士が詰めて、
もはや風前の灯火である命のやり取りを行ったのです。
まあどこの城郭にもあるものではありますが、やはり本物感が違います。
武者溜まりなどは、身震いしました。
外観もほれぼれするほど立派ですよねえ・・。
街の真ん中に国宝があるんですからすごいことですよね・・。
でも、市民の城に対する気持ちというのは、それほどには感じなかった。
会津や熊本なら、強烈な市民の誇り、一体感を感じるのだけれど。
これはやはりこの城が、
「城を枕に」という過酷な籠城戦を経験していないからなんだろうと思う。
まあそれほど戦禍に巻き込まれていない街だということもいえるでしょう。
松本市。
素晴らしい街ですね。
すべて一級品の自然と歴史と。
それでいて学力水準も超高いという伝統。
いろんな一級のものが一体となっている感じがします。
信州に行ってみてわかったのは、
やはり我々の「秋田」はよほど分が悪いということ。
田舎に住みたいと志向する東京人なら、まず信州を思い浮かべると思う。
私はあまりそうは思わない方だけども、
秋田を「自然」というキーワードで全国にアピールしようとする場合、
うーん、これはちょっと簡単にはいかないですぜ。
よほどの作戦が必要です。
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