本田宗一郎や司馬遼太郎などの先人が云うに、
「モノを創る、モノを書く、モノを企画する」
すべて仕事というのは、能力でも技術でもなく、
結局は自分の中にある「少年」の投影だと。
あなたがもし役場の窓口で住民票を発行する係で、
毎日決められたことを決められたようにしかやってはいけない
という仕事をしているのであれば、
少年の心は必要ないかもしれない。
しかしそれではあなたは一生、住民票係なのだ。
そこからぐぐっと成長するためには少年の心が必要だ。
そして先人はこうも云う。
「技術者が保守的であるのはそれだけで犯罪だ」
クリエイティブな現場で仕事をしている人ならなおさらだ。
多少メタボが気になる年になったとしても、
ちょっと頑張ると疲労を隠せないようになったとしても、
息子が小学生になろうとしていても、
自分の中の「少年」を見失わないようにしなければ。
我が社の社名も30歳を過ぎて多少恥ずかしさを感じるようになってきたが、
意味するところはそういうことなのである。
しかし同年代の友人などでも、会社という大組織に染まり、呑まれ、
知らず知らずのうちにそれを失っている人も少なくない。
少年の心を失った人というのは、どうあれ抜け殻のように見えてしまう。
出世、ノルマ、実績、上司の評価、部下の信頼、ベースアップ・・。
それらの一つ一つに価値などないのだ。
いや、そもそも価値などなくても良いのだ。
「やりたい!」
と思ったことに対して情熱を傾けて行動する。
いろんなものはあとからついてくるのだと思う。
どんと来いや!
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