私はなぜか教員免許を持っている。
といっても実際に見たことはないが。
とても似合わないとよく言われるがなぜ持っているかというと答えは簡単。
秋田にいたい文系の高校生がいける大学は秋田大学の教育学部のみだったのですよ。昔はAIUもノースアジア大も県立大学もなかったのですよ。
だから秋大に入るしかない。
教育学部なので卒業さえすれば免許はもらえる。
そういう寸法です。
なぜ秋田にいたかったというと、
当時つきあっていた彼女と一緒にいたかったからです。
な~んてな。
しかし、見るからに文系の能力に溢れている私が(笑)、
何を間違ったか理系のコースに入ってしまったんです。
入学して早々、金属工学、機械工学、電気工学、木材工学、物理、実験・・。
まったく興味も能力もなく、
特に物理なんて高校でやらなかったので中学生以来。
中学の物理といっても、バネが伸びたとか縮んだとか玉が落ちたとかどうだとか、
しょうもないことしか習ってないので、
もう何やってるかさっぱりわからなかったですね。
なので、自然と学校に行かなくなる・・。
いきなり最長不倒6ヶ月という大記録を樹立しました。
楽しかったなあ。来る日も来る日も好き勝手に遊んでいて。
しかし、世の中うまくできているもんで、
それでも一つも落第することなく、卒業できました。
そういうコースだったようなのです(笑)。
私の人生の中での幸運はいくつかありますが、
この大学のこのコースに入ってしまったことが、
中でもとびきりの幸運だったと思います。
物理や機械なんて、まったく興味なかったのですが、
このコースには情報工学がありました。
まだパソコンが電功堂で50万とかした時代、
プログラム言語やネットワークの概念を覚え、
インターネットにじかに触れる。
特にメールという機能に出会ったときの衝撃はそうとうのものでした。
「世の中変わる、チャンスだ」
と本当に思いました。
私はやはり文系なので、
この技術そのものよりも、この技術によってできるようになること、
その影響について、そして可能性について心酔しました。
今、思えば入社試験の際にも、
インターネットの将来についての論文を大胆に書き下ろしました。
そういうこともあってハッタリがきいたのか、
入社して私が取り組んだ仕事の一つは、
社内のネットワーク化による知的作業の生産性向上です。
ナレッジマネジメント、グループウェアやネットワークと格闘したのもこの時期です。こういう経験は今だに仕事に対する思想の基盤になってます。
この大学で他のコースに行っていたらこうは絶対にならなかったはず。
同じ時代に、同じ場所で、同じことを学んだ当時の私の同級生たちは、
今、だいたい教師だ。
それゆえ私のような輩とは現在あまり繋がりがない。
私は今、阿呆面をしてまったりblogをUpしている。
多少、今月の業績のことを気にしながら・・。
今日のような午後、教室で彼らは何をしているだろう。
こういうことを考えるとき、自分も意外と齢を重ねたものだと思ってしまう。
もうちょいで3?歳になりますよ。
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素敵な青春の思い出というか、現在に繋がるお話ですね♪
うちの息子も、TUさんみたいに、故郷に貢献する人間に育ってほしいものです^^
私などはまだまたですが、
うちの息子にもそうなって欲しいです・・。