秋田市中心地から自転車で行けるくらいのさほど遠くない秘密の場所に、
山奥のきつい斜面にあるはずの山ウドが密集して群生している場所がある。
昨年の五月早暁。
秋田市の地形などを防衛的な観点から見てみようと思い立って、
従者を一人伴って秋田市の中世の居館などを集中的にまわってみた時期があったのだが、そのときに思わず発見した。
そこは、地形的にも重要なポイントになっていて、
当時の秋田の大きなある勢力とこれまた大きなある勢力の境界にあり、
海と内陸をつなぐ場所でもあり、眼下に大河が流れるというところからも、
戦略上、非常に重要なポイントだ。
ここに重村という戦国領主が蟠踞していた。
剛勇をもってならした男で、
非常に精強で剽悍な軍団をもって周辺に武威を張っていた。
まわりの居館居城など、大小問わずほとんど彼の勢力に滅ぼされている。
その彼が拠っていた山城。
450年が経った今、わずかに残る構造物からしか当時の威容を知る術がないが、
妙なことに普通の山とは植生がわずかに違う。
おそらく後ほど開発されて植えられただろう趣のない杉林の中に、
山ウドが力強く群生しているのだ。
あり得ない。
他にも片栗や矢竹などなどなど・・・、
ひどく実用的で場違いな植物がが細い杉の間から顔を出している。
おそらくそれらはすべて、籠城戦を想定して意図的に植えたものだろうが、
山ウドだけは重村の好みだっただろう。
それは山ウドを好みそうな彼の人物像からうかがえる。
間違いない。
それを私は「重村ウド」と呼ぶことにし、
毎年、この季節になると従者を一人伴ってそこにいく。
そして重村から山ウドの旬のいいところを少々わけてもらうのである。
今年のやつはとびきりうまいモノだった。
最終的には悲惨な末路となる重村。
もとは坂東武者の彼が、
空堀に囲まれた郭にどかりと腰を下ろし、
山ウドを囓りながら白く濁った酒を口に掻き入れるように飲む。
視線は対岸にある敵城群へ--。
あの山ウドの何ともいいようのないエグミを味わうたびに、
彼の武辺と狡猾、そして何ともいいようのない愛嬌を想像して、私も酔う。
来年もまた一緒に飲もうぜ、重村。
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