八戸から内陸へ、いかにも岩手らしい川沿いの山道を進むこと30分。
ここに来て、なぜ彼らがこの三戸といういかにも貧しそうな土地をあえて選んだのかが即わかった。
この地形を見て頂きたい。
2本の川を天然の要害としたナマコ状の台地。
これはまるで大坂城ですよ。
三方を川と断崖絶壁が守り、南側の多少ゆるやかな斜面に大手門。
それを囲むように家臣団の屋敷、武者溜まり。
いろんな城塞跡を見てきたけどもここはひときわ見事です。
こんなに要塞を築くのに適した場所というのはそうはない。
一番最初にこの台地を見た南部光行は小躍りしたに違いない。
実際、1633年に不来方(盛岡)に本拠移転するまでの約450年間、
一度も落城していないのである。
まあ、こんなところにたいした敵はいないからという意見もあるでしょうけど。
確かに信玄や謙信クラスの鬼軍団はいなかった。
しかし、もし上杉謙信のごとき鬼神のような武将が大館あたりにいたとしても、
この山塞を料理できたかどうか・・。
正面からでは絶対無理。
間違いなく完封されます。
さらにまわりは山、山、山。
これでは大軍の移動はそうとう困難だろう。
兵站も伸び伸びになってしまう。
その山間を走り抜ける南部の軽騎兵団。
包囲するまでもっていくのさえも至難の業だ。
地域全体が難攻不落なのだ。
事実、江戸中期に商品経済という侵略者によって地域が破壊されるまで、
ここは南部のささやかな楽園の中心だったのだ。
高原の国の王者、南部氏にふさわしい居城。
三戸、まさに南部のサンクチュアリ。
この記事で少しでも心が動いたらクリックお願いします→人気blogランキング