先日、念願叶ってついに南部の聖地に行ってきました。
南部氏。
もともとは甲斐の国の源氏勢力(新羅三郎義光系)であり、
鎌倉体制の御家人であった彼ら。
頼朝の命によって、由比ヶ浜から6艘の船団で八戸に入り、
周辺を斬り従えて奥州に一大勢力を形成する。
奥州といったら藤原氏でなく、南部氏なのである。
「突如、船でやって来て、征服した」
というところに非常にロマンを感じるのだ。
かつて船でドーバー海峡を渡り、
グレートブリテン島を征圧したアングロ・サクソンに近いものがある。
(八戸南部始祖 南部師行公)
しかも、さすが坂東武者。
しこたま強い。
周辺にあった地元勢力を次々に斬り従えて版図を広げる。
最大勢力時には、北は下北半島大間崎、西は津軽、鹿角、大曲、南は遠野、東は三陸というそうとう広大な領土を持っていた。
もちろん、我らの秋田安東氏もかなり追い込みをかけられたクチだ。
しかし短期間であるにせよ、奥羽山脈を越えて大曲まで勢力範囲にしていたというからそうとうな膨張エネルギー。
ものすごい。
まあいろいろあるんだけど、
南部氏とその領土風土に興味を長いこと持っていたので、
聖地八戸にはずーっと行きたいと思っていたんです。
それがやっとかなって八戸に行ってきました。
(八戸南部家墓所)
八戸根城、八戸市博物館、南部家墓所など、
つらつらまわっていろんな資料に触れてるうちに重大な事に気づく。
南部の聖地って八戸でなく三戸らしい・・。
うーん、ショック・・。
南部家の船団は八戸にいったん上陸したけども、
当時の八戸には何もなかったのでそのまま三戸まで川を遡上し、
そこを根拠地にしたそうだ。
その後、盛岡に行くまではずっと三戸が宗家の根拠地だったらしい。
八戸にあるのはその別家・・。
どうりでせこい墓所だった・・。
見事にフェイクいれられました。
う~ん。
ということでしょうがないので三戸にも行ってきました。
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