よく会議などで、
「秋田の良さはなんだと思いますか?」
的なテーマになったときに、
有無を言わさず、
「秋田の自然は最高だ」
とか言って悦に入る人がいるが、はっきりいってアホではないかと思っている。
そういう私は郷土の自然をこよなく愛する実践派だ。
山にもよく入る。
海にもよく潜る。
朝方の尾根で足下からあがってくるかのようなライジングサンが好きだ。
かの連中はある種の宗教的でさえある。
単に秋田の自然がいいということを盲信している。
そして口に出すことによって一種の恍惚状態に入る。
しかもそう言うとみんなが同意してくれる、
いや、同意するべきだと思っている。
その場に「同意せざる者、秋田を語る資格なし空気」をつくってしまう。
しかし、夢見るリアリスタの自分としてはいつも違和感を感じている。
この、人の手によって、
しかもほとんど無作為に植えられた貧相で雑多な林のどこが美しいのか。
人の欲が杉林に変化してその屍をさらしているようにしかみえない。
秋田の山はそこら中そんな山だ。
山に入るようになって初めてわかった。
過日、平城京の春日大社の杉林に入ったことがある。
誘い込まれて入ってしまったというべきか、
あまりの神秘さに自分はもしかしたら鎌足なのではないかと思ってしまった。
秋田空港に降り立ち、今、見てきた都心の美しい緑と比較して、
「いやー秋田の自然はやっぱり他と全然違っていいですね」
などという感想をいう人がいるが、
空港周辺の間伐さえしていない貧相で雑多な杉林がいいというのか。
自然というよりは放置プレイだろう。
しまいにそのど真ん中に工事中の道路がひっくり返った蛇のように汚い腹をむきだしにして横たわっている。
あほまいちゃんねん。
東京にだって自然はたくさんある。
下手したら都心の方が美しい緑があるかもしれない。
皇居周辺の緑はとりわけ見事だ。
東京=汚い、田舎=美しい
という単純な公式だけで考えてはいけない。
自分を納得させ、慰めてはいけない。
ありのままをよく見て、
何がよくて何がよくないのか。
その上でどうなりたいのか。
それが重要だ。
ブナが生えている標高まで行ったときの秋田の山中は超美しい。
秋田沖から見る太平山の山ぶりには神々しい何かを感じる。
男鹿の海中にはこの世のものとは思えない色彩がある。
ナメコさんの入ってる温泉?のような穴も良さそうだ。
八郎湖が湖に戻ればもう何も言うことはない。
秋田国、天ハ蒼々、風ハ颯爽。
あー秋田好きだ!大好きだこの野郎!
秋田の自然は最高だ。
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