よく県外の人に、
秋田の人はしょっちゅう「きりたんぽ」を食べているのか?
と聞かれることがありますが、最高返答に困る。
まあほとんどの人が「きりたんぽ」に味噌とかつけて、
そのまま食べていると思っているイメージなのでそこは全力で否定する。
「きりたんぽ」ではなく「きりたんぽ鍋」をしょっちゅう食べていると。
しかも鍋としては日本で最高にumai鍋だと一言付け加えて。
そして正確を期す場合なら、本当はもう一言付け加えたい。
実際のところは「きりたんぽ鍋」ではなく
「だまこ鍋」をしょちゅう食べているのだと。
この点についてちょっと妄想していることをだらだらと書きたいと思うが、
タイトル通りなんの根拠もまとまりもない妄想なので、
もしこれを読んで頂いたとしてもあまり本気にしないでください(笑)
「鍋」とはとてもおもしろい食べ物で、全世界にある。
もちろん国内でも様々なバリュエーションの鍋が存在する。
どれもそれなりにumaiものばかりで、
しかも伝統的な鍋料理だと必ずその土地の歴史的、生活文化的事情が背景にあり、それが鍋の中に図らずとも反映されているものだ。
しかし「きりたんぽ鍋」にそれを見出すのはなかなか困難なのである。
秋田人がずっと続けてきた食文化ではないのではないかと妄想している。
「きりたんぽ鍋」の発祥の地は秋田県北部、比内盆地周辺だという。
しかし、それが現在のようなポピュラーなメニューとして成立したのはごく最近、
もしかしたら戦後ではないか?とさえ思ってしまう。
「きりたんぽ」を作る際の手加減を「はんごろし」などというあたりも、
いかにもという感じの演出臭がたっぷり充満している。
おそらく大館か比内あたりの商工会とかが考案して売り出したものなのではないか、とも推測してしまう。
もちろん、それを良くないことだとは全然思わない。
商工業者の取り組みとしては、なかなか類例のない大成功だし、
むしろ素晴らしいことだと思います。
しかしこの「鍋に米を入れる」という特異性。
全国広しといえども鍋に米を加工したものを入れるものはほとんどない。
多いのは「麦」だ。
すいとん、ほうとう、ひっつみ、だご汁、せんべい汁・・・などなど。
これはすいとんです
これらの全国的に有名な鍋のほとんどは、
小麦を練って団子状や平板状にしたものが主役になっている。
これは米が獲れず、麦や雑穀を食すしか仕方がなかった山間部や寒冷地などの地方が、味気ない麦をよりおいしく食べる手段として自然と成立したものだろう。
そういう当時の庶民の生活の息づかいを考えてみると、
「米を鍋に入れる」という当時の庶民感覚ではちょっと考えられない思い切った思想が成立するものなのかは、はなはだ疑わしいのだ。
何しろ当時「米」は貨幣であった。
比内・大館地方はその大事な大事な貨幣を鍋に入れるほど、
米が有り余っている豊かな田園地帯だっただろうか。
現在、米どころとして知られる秋田県ですが、
山間部である県北地方は米のたくさん獲れる地方ではなかったはず。
この地方は秋田県のその他の地方とは異なり「米」ではなく、
木材や鉱山などの資源で大いに栄えたエリアなのである。
こうなるとやはり、
昔からこの地方で「きりたんぽ鍋」が食べられていたのかは疑わしい
と言ってもいいのかもしれない。
~中編に続く
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きりたんぽはうまい。
確かにうまい!・・・・が、
コストパフォーマンスに欠ける食品であるが故に、
我が家ではいつもダマコ(自家製)鍋です。
>バーバー・アパーカットさん
コメントありがとうございます。
我が家でもいつもダマコですねー。