徳島を後にしていざ高知へ向かう。
空海に興味があることもあって室戸岬経由で高知に入りたかったのだが、
今回は四国山地の中心部から東流して流れる吉野川を遡上して白地へ。
白地とは、今の三好市とか池田町のあたりであの有名な池田高校のある場所だ。
とはいっても別に池田高校の練習風景を見たかったわけではない。
ここは戦国時代に四国制覇をした長曽我部元親が、
最初に大軍を送り込んだ重要な戦略ポイントだったのだ。
真剣勝負においては常に、
何のために戦うか、ということが明確でなければならない。
目的によって戦い方が随ずいぶん違ってくるからだ。
別に戦争だけに限らずとも営業会議や販売会議などでも、
多くの場合、各個撃破論になりがちだ。
目の前の敵を考えるに、その方が一見、安全策にに見えるからだ。
しかし元親の目的は始めから「四国制覇」だった。
いや、全国制覇だったのかもしれない。
この点、信長や信玄、伊達政宗などと似ている。
彼もまた新しい時代を予感し、そういう目をもって生まれた英雄なのだ。
その目的のためなら確かに、
この四国のど真ん中の交差点である「白地」を手に入れなければならない。
そうすれば敵の連合を防ぎ、分断し、その上で一挙に攻めあげることができる。
そのことに元親は土佐一国のすべて、全兵力・全資産を投入したのだ。
結果は大吉。
元親の征服事業は信長の横槍が入るまでは順調に進み、
四国の九割までは手に入れ、後世の我々に英雄として知られるようになった。
その後は運命に翻弄され、決して満足いく人生ではなかっただろう長曽我部元親。
僻地で事業を興すことの要を元親は彼の生涯をもって切なく教えてくれるのだ。
その彼が大軍とともに越えた峻険な峠を私も越えてみたかった。
ぜひとも、その山を越えて浦戸の海を見てみたい。
景観の素晴らしく美しい吉野川上流
この渓に土佐の一領具足が充ち満ちて進んできたのだ。
彼の生涯は迂遠の辺境に生まれてしまった英雄の悲しみに包まれている。
秋田人、なんとなく共鳴するものがないか。
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