この世に生まれてきて30余年、いろんな人を愛していますが、
祖母ほど愛している人はいません。
しかし、17年前にガンで他界。
共稼ぎの貧しい、でもイキイキとした家庭に生まれ育った私は、
幼少時、この祖母に預けられ、そして育てられた。
私の心の中にある涙もろい性癖や弱者に対しての反射などの、
「慈しむ」系の情緒はすべてこの祖母から受け取ったものだと思っている。
大正九年、由利郡道川の海辺の寒村で生まれ、
その後、当時の日本領である樺太(サハリン)へ一家で移住。
小さい頃から貧乏にまみれ、この世の辛苦を舐め尽くす。
その辛苦の果てに、ついには両親と生き別れ、秋田の親戚に女童として奉公へ。
そこが私の実家のすぐそばの富農の家だった。
そして我が家に嫁になってきてふたたび貧乏と再会し、
その後、私の祖母となった。
青春時代の私は、彼女を家に連れ込んでは、要するに、いけないことをしていた。
しかし私たちにすれば自然、成長の発露であり、
決して悪いことをしているつもりではない。
しかし親にしてみれば心配だろうし、当然戒めるのが筋だ。
ある時、それを両親や祖母に戒められ、食ってかかっていってしまったことがある。
彼女を守らなければいけないというハラも当然あった。
祖母の部屋に行き、枕頭で夢中で何かを主張した。
何を言ったか忘れたが、ひどく意地悪なことを言ったのかもしれない・・。
そしてその後の祖母は、なんとなく元気がなくなってしまったように思える・・。
何度も私に対して謝ってくれたのがなんか申し訳なくて・・。
それから1年半後、突然亡くなってしまった。
神様は私に、まともにお別れをいう時間さえ与えてくれなかった。
今でも不意に襲ってくるあの思い。
18年たった今でも胸を掻きむしられる。
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