昨日、ある新聞社の支局長の送別会にお邪魔してきたら思わずおもしろい話になった。
その支局長K氏は鶴岡の出で、名前が戦国武将と同じだし、
その姓からいっても加藤清正の後裔かと思っていたが違っていた(加藤家は清正の息子の代に取り潰し。肥後熊本から庄内に幽閉)。
それはどうでもいいとして赴任中、非常に懇意にさせて頂いた。
ありがとうございました。
そして、同席した高級官僚K氏、ある一流銀行のFPであるS氏と、
私の周りの3名がなんと偶然にも庄内出身秋田在住の方。
いずれも庄内が生んだ一流の英才の方々で、
それぞれ日本国の最高学府的な大学を出、各方面でご活躍の方々だ。
面構えからしても、なにかこう颯爽としていて、
世が世なら一軍を率いて秋田に攻め込んで来ていたかもしれない将器のみなさんだ。
そこで話を振ってみたのが、秋田庄内統一論。
だいいち、庄内人の内陸、山形を憎むこと甚だしい。
なんで???
秋田と県南ではあまりみられない現象だ(津軽と南部よりはましだけど)。
出羽三山の峰々の高さを思う。
近似する文化、言語、気候などをもつ我々西海岸人(WestCoast人)。
これは絶対に統一した方がいいのだ。
最悪、武力に訴えてでも併合・・。
と思ってましたが、意外にもあっさり同意を得ました!
ということで、秋田庄内は統一して同じ県になることに決まりました。
みなさん、よろしくお願いします。
さっそくいろいろ決めなければならないこと山積だが、まずは名前だろう。
さすがに「秋田県」では先方が納得しないだろうし、
そもそも「秋田」とは今の秋田市のあたりのみを指す言葉であって、
秋田県全土を象徴するネーミングではない。
律令体制下にあっては県南は羽後だろうし県北の一部は陸奥の国だったろう。
秋田県は戊辰戦争の際に、こともあろうに官軍に寝返ったので、
鹿児島、山口、高知、佐賀などの官軍と同様に、
県名は当時の政庁・城下町と同じになっただけというだけの理由で「秋田県」なのである。
そして何よりまず「県」という制度を一度白紙に戻さないと。
そこで今話題で、世界に通じ、vividでcoolなイメージなのに、絶対笑わせることができる、
「ノースアジア県」でいこうかと思います。
people said
「どこから来ました?」
we said
「N.A(エヌエー)ですよ」
最高かっこいい。
最高イメージがいい。
この陽光あふれる東北西海岸を最も象徴しているステキなネーミングだ。
個人的には、ノースアジア県には「津軽」も加えたいと思っている。
誰か津軽の有識者で決断力のある方知っていたらご紹介下さい。
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津軽出身で現在敵地?南部在住の私は、今南部や奥州の文化に酔いしれているところなので、すっかり現実味がなくなったと言われる「北東北州」構想は、やっぱりアリだと思います。 盛岡に住むようになって感じるのは、「津軽」なんてせいぜい数百年間のことで、その前はそんなのなくてず~っと津軽も南部も同じ国、文化圏だった、という懐かしさ。
津軽の「ねぷた」と盛岡の「さんさ」は同時期開催なので「さんさ」を去年初めて見ましたが、どこがどう、とは言えませんが、お祭りにも共通するものを感じました。 そして、やっぱり津軽人は独立を勝ち取っただけあって気性が荒い!というのも★
はっきり言ってくれそうで、今後政界を狙ってそうな有力者は、ズバリ「伊奈かっぺい」氏です。 北東北の風習を20年も前に全国に広めた功績者ですし、地方局では有能なので出世頭でした。 「忘れかけられた芸人」で余生というには惜し過ぎる方です!!
秋田では今、北前文化圏ということで庄内との連携が流行ってますね。
作家の石川好さんが強力に推進してます。
「伊奈かっぺい」氏って今後政界を狙ってそうな有力者なんですか・・。
「忘れかけられた芸人」だと思ってました・・。
津軽は芸能人の宝庫ですね。
南部は政治家の宝庫です。
TUさんに一本取られました★
そうなんです。 20年も盛岡を新幹線の終着駅にしちゃってバブルの恩恵を北東北で唯一独占した結果が、今日の盛岡の豊かさの土台となっているのです。 秋田はミニでごまかされ、青森は踏みつけられたのです。南部の逆襲です。・・・何か、猛烈に腹が立ってきたなぁ~~~!!
新幹線は青森に行かないで先に八戸行っちゃいましたからね(^^;)
東北は今さらだから秋田は新潟に繋がりたいです。
新潟経由で東京行った方が近いかも。
でも東京は飛行機ですけどね。