金七翁と一緒に松波を歩く。
ここ松波は斎藤道三さんが「国盗り物語」のなかで一時、
「松波庄九郎」を名乗ったことがあるので道三ファンがたびたび訪ねてくるらしい。
しかし、松波と道三の所縁は直接的には何もないらしい。
さて、まずは能登松波城の最後の城主、畠山義親の墓所へ。
室町の名門・能登畠山氏の一族で、
松波畠山氏を名乗りこの能登の先端の松波城を拠点に勢力を張る。
しかし、上杉謙信に本城の七尾城が追い込みをかけられ、あえなく陥落。
能登畠山氏が滅亡すると、同じ運命を辿り自害。
当時「越後の上杉謙信」とは鬼神のような存在だっただろう。
最後の城主・松波義親が眠る墓所
なんと能登畠山氏と私の家は家紋が同じなのだ
この「丸に二両引き」という家紋にはなにかの因縁があるはずだ。
しかし、それがなんなのか、今はわからない。
加賀にいけばわかるかもしれない。
なんで俺は今、能登にいるんだろう・・。
松波城本丸跡
こじんまりとした感じの田舎山城だが、なんと枯山水のあとがあるという。
さすがに三管領家の畠山氏。
京の影響が強く濃い。
現在発掘中だそうだ
見ると、確かに枯山水のようにみえる
しかし町に発掘資金がなく、この調査もストップしてもう何年もなるという。
日本全国、この点ではどこも苦労してるんだな。
大手門跡
城内を通るのと鉄道能登線のレール跡
ここにはほんの一年ほど前までは、
線路が敷かれていて電車が走っていたのだという。
財政難で廃止になり、線路は鉄屑となり中国に売られたそうだ。
鉄屑は意外と高く売れ、撤去費用がういたほどだという。
秋田の鉄道にも近い将来、こういう運命が待っているかもしれない。
無人駅の跡がとても寂しかった。
そして時間がないながらも、これだけは自慢させてくれ、
と連れてこられたのが、この松波松岡寺。
そういえば、ここは一向宗王国。
人々の心の支えとなっているのは今も昔も、真宗門徒だという誇りなのだ。
想像を絶する弾圧に耐えながら、この能登半島の先端まで追い詰められ、
しかし信仰を捨てず、これだけ大きな堂宇を門徒の手で建立し、維持している。
とても大きな大きな本堂
京都の有名な寺に匹敵します
この堂宇自体が松波門徒の誇りなのだ
ここでは誰よりも偉い蓮如上人
貧困と圧政に苦しみ、明日の命さえもわからない当時の庶民にとって、
信仰はたったひとつの救いであったのだ。
そういえば私の家も、真宗門徒だ。
南無阿弥陀仏-。
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