Tiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮
サブタイトル タイガー!タイガーアッパカーッ!秋田の歴史、文化、グルメ、時事、そしてステキな未来の書き下ろし!
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過日、熊本にて

2007 年 5 月 28 日 by TU

一年半ほど前、熊本に遊びに行ったのはいい思い出だった。
耶麻渓の方から入って日田から小国、阿蘇へ。
阿蘇から白川へ行き、高千穂の方面へ抜ける。
そして熊本市街へ。

彼の地は火の国、神の国、肥後。
熊襲の時代から激情的な人々が住む国。
そしてまた私が尊敬することやまない森高千里の生地でもある。
これまた私が今だにその尊敬の念をおろそかにしていない本田理沙は大分中津。
あ、これはあきらかに蛇足。
いずれ私のような秋田人からすれば憧憬の思いあふれる遠い異国だ。

気候は温暖、風景は絶景。
食は珍なり酒は妙なり。

嗚呼また行きたい。

白川水源あたりをdrive中に、ふと奇妙な庵と碑を発見。

なんとこれが、会津人の碑なのである。
そういえば西南戦争の際に会津人は大量に動員されて、
警視庁抜刀隊などの諸隊に組み入れられ、
鳥羽・伏見以来の薩摩人への怨念を晴らす機会を与えられている。
戊辰戦争の際に勇猛果敢な戦いぶりから「鬼官兵衛」などと
いわれて高名な佐川官兵衛などもここを死に所としている。

この凄まじさは動員した側もまた薩摩人(大久保利通派)だったということか。
会津人の憎悪を、薩摩人が薩摩人を討つために利用したということだ。
会津人の薩摩人を憎むこと甚だしい。
長州人とは最初から敵対しているので、ただ敵として憎いだけだろうが、
薩摩人は途中で会津を裏切り、
後ろから下駄を外した上で、巧妙に袋だたきにした。
会津人の薩摩人を恨むこと、ねっとりと複雑な感情であるだろう。

その石碑には、
これから、この見も知らぬ肥後の地から、
薩摩へ出征する会津藩士(山川浩)の辞世だろう句が刻まれていた。

「薩摩人 見よや東の 丈夫が さげはく太刀の 鋭きか鈍きか」

この戦慄をよぶ凄まじさはどうだろう。
憎悪なんていうような生やさしいもんじゃない。

日本はこうして出来上がっていったのだ。

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プロフィール
     投稿者: TU
     紹介: 秋田市在住秋田人。会社を創業、 そして経営。現在30代前半。 人生の真夏。 好きなもの=「秋田」
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