Tiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮
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2008 年 11 月 18 日 のアーカイブ

武田神社へ

2008 年 11 月 18 日 火曜日

せっかく甲府に行ったのだから「ほうとう」と「武田神社」は欠かせない。
神社とはいうものの、
ここは躑躅ガ崎館という武田軍の拠点のあったところなのだ。

戦国時代よりもずっと早くからこのあたりは発展したせいか、
日本一の武田軍団には防衛戦に威力を発揮する山城や、
当時の小田原城のような大規模な籠城戦ができる城塞はないのだ。
その代わりにこの中世的な居館があるだけだ。
もっとも、ここが戦場になることは一度もなかった。
武田軍は常に敵の領域で戦うという常勝軍だったのだから。


駅から歩いて30分ほどの丘にある武田神社


この鳥居がいわゆる大手門だった

堀は当初から一重しかなかったという。
この薄い防衛ラインのかわりになのか、
この居館のまわりにはびっしりと武田軍の中枢の武将の家々が並ぶ。
板垣、山県、馬場、穴山、真田などなど・・。

「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」

とは武田信玄の言葉だ。
なるほどね。


さすが武田神社。いたるところに風林火山があります

「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」

これは中国の春秋時代の兵法家、孫子がオリジナルです。


川中島の際に奪ってきたという上杉の軍旗

武田信玄の最大のライバルは上杉謙信です。
私はこの軍旗をみて戦慄しました。
なにしろ、その当時は私は「天と地と」を読んでいたのです。
自ら毘沙門天の化身だという上杉謙信。
以前、米沢の上杉神社で、
謙信の書いた達筆の信玄の弾劾状「武田信玄悪行の事」を読んだことがあるが、
さすが、この世を糺すためにこの世に生まれてきた毘沙門天だけあって、
ものすごい、鬼気迫るような敵対心が感じられた。

しかし、武田神社からはそういうものは感じられない。
武田側は越後勢ほどは、両者の戦いに固執してなかったように思える。
事実、上杉謙信は川中島では常に決戦するための戦術を用いたが、
武田信玄は決してそうではなかった。
川中島では常にイーブンを狙って、「負けない戦い」を志向していたかのよう。
軍人としては上杉謙信の方が上だと思うが、
軍事も含めたリーダーとしては武田信玄の方が一枚上のように思う。

が、どうなんだろう。

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     投稿者: TU
     紹介: 秋田市在住秋田人。会社を創業、 そして経営。現在30代前半。 人生の真夏。 好きなもの=「秋田」
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