私は決して坂本竜馬嫌いではないのだけども、
竜馬があんなに女にモテモテだったたというのは、
司馬遼太郎の創り出した虚構だと思っている。
新聞紙上で、まだ小説家としては駆け出しの著者が人気を博すためには、
主人公の色恋沙汰も重要だったはず。
私は「竜馬がゆく」を読むときに、そこらへんがつい鼻についてしまうのだけど、
でも、まだまだ娯楽の少ない時代。
モテモテの竜馬像を創り出すのも仕方のないことだと思う。
しかし、そうは言ってもどうしても動かせない色恋沙汰の事実が二つある。
まず正妻のおりょう。
これはれっきとした夫婦なので竜馬とおりょうの関係は間違いない。
そして、もう一人が千葉佐那子だ。
この女性も竜馬を想う女だったことがハッキリしている。
しかし、相思相愛だったのかは少し疑わしい。
佐那子さんは江戸の北辰一刀流・千葉道場の娘として生まれた。
そこに、剣術生として習いに来ていた竜馬を好きになったのだ。
婚約者だったと自称している。
しかし、当の竜馬は別の女と結婚してしまい、そして死んでしまった。
佐那子さんの言っている婚約者だというのが事実だとすれば、
竜馬は二股かけていたことになる。
しかも東京と京都で二股だ。
なんてウラヤマシ・・、いやいや、なんてイヤなヤツなんだろう・・。
それはいいとして、佐那子さんが凄まじいのは、
竜馬死後も婚約者を貫き通して、貞節を守り抜き、生涯独身を通したことだ。
生活のために針灸を生業としてまで、
貧困にまみれてもあえて「婚約者」を貫いた。
現代と違い、女が一人で生きていくことがとても難しい時代のことである。
本妻のおりょうは竜馬死後、一度竜馬の実家に入ったがすぐに出奔。
転々として横須賀で西村さんという商人と再婚。
晩年はアル中で、酔っては竜馬の妻であるという自慢と、
佐那子に対する悪口を極めていたという。
佐那子さんは、竜馬やおりょうについて世間に何も語らず、
ただ「私は坂本竜馬の許婚でした」とだけ言い残し、凛として清潔に生涯を送った。
さすが武家の女だと、さわやかな感銘をうける。
その最晩年。
身寄りがなく無縁仏になるところを、
小田切謙明という親切な自由民権運動家にようやく説得されて、
小田切家に引き取られ、そこで3年を過ごして鬼籍に入ったという。
ということで、佐那子の墓は小田切家の墓所にある、
ということを司馬遼太郎のなんかの本で読んだ記憶がある。
武田神社の帰り道。
「小田切商店」「小田切電気」などの看板がいくつも目に入り、
表札なども「小田切」という苗字が多くなって、電撃的に思い出した。
「小田切謙明というのはもしかして甲府の人なのでは!?」
さっそく、携帯からgoogle検索!
やはりその通りで、墓所も近くにあるらしい。
携帯で検索したmapを見ながらふらりと現地に立ち寄ってみる。
不思議なことに引きつけられるようにして突如ここまで来てしまったのだ
「千葉さな子墓」と確かに書いてあります
その墓石の裏には「坂本竜馬室」と・・
死しても許婚を貫いてるんです。
成就できなかった恋なだけに切ないですね。
いろんな思いにふけって合掌しているときに、
ふっと後ろに気配を感じて振り返ったら猫でした・・
佐那子さんのような感じのお行儀の良い猫でした
竜馬も女を見る眼がねえよなあ。
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