大友康平は今さら失うものなどなにもなかったらしいが、
院政時代、北面の武士というエリートコースにいた西行にはそれなりに失うものがあった。
西行法師について。
出家前の俗名、佐藤義清。
歌人としても芭蕉などよりもずっと心に響く。
旅人としても、武士としても、人間としても、
何より男としてここまで高潔な精神を感じさせてくれる人は、
世界の歴史の中でもなかなか巡り会わない。
西行の高潔さは苦労を自ら買ってでたところだ。
私のような土民出身者は渾身で成り上がればいいだけなのですが、
西行のように官位を持ち、優遇され、すべてが備わっている境遇から、
若くして自ら落とすということはなかなかできることではない。
上流階級出身の幕末の革命家、高杉晋作も同様の境遇である。
やはり西行に魅かれ、慕い、自らを「東行」と号した。
アメリカの大統領でも、
功績の割にLincornよりもJFKが人気があるのはそういう理由だろう。
それくらい「苦労を自ら買う」ということは常人ではできないことなのである。
その西行が、すべてを捨てて諸国放浪の旅に出る際、
泣きすがり追いすがる我が子を蹴り倒し、縁側から突き落として絶縁し、出家した。
子供のいない人には、これがどれほど凄まじいことか
なかなかわかりにくいと思うが(私も子供ができてようやくわかった)、
自らを傷付ける切腹などよりもそうとう辛いことだろう。
男として、何かに臨むときにはこれくらいの覚悟を常に持っていなければならない。
孟子にも、
「自ラヲ顧ミテ直クンバ千万人ト雖モ吾イカン」 という言葉があるが、
世の中を相手に何事かをやってやろうという気概のある男はやはりこうでないと。
孟子、西行、東行高杉。
共通するものは、命がけの行動力か。
高杉晋作などは「動ケバ雷電ノ如ク、発スレバ風雨ノ如シ」とものすごい評を後世の人に言われた。
しかし、西行の面白さは、
そういう人物でありながら、しかも激動の革命期に生まれながらも、
タメで同僚の平清盛やその後の源頼朝とは違い、
あえて革命(鎌倉革命という階級闘争)の渦中に身を投ぜず、
世を斜めからではあるがしかし真っ直ぐ見続けて、そして堂々と大往生した点だ。
そこに逆に凄みを感じてしまうのだ。
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