作家というと、どこかの山奥の秘湯の奥の院や超高級のスイートなどに籠もり、
缶詰になって集中し、一挙に書き上げるというイメージがある。
その方が集中力が高まり、想像力は飛躍して、才能が高揚するのだろう。
それは、よくわかる。
しかし、作家、司馬遼太郎は常に自宅の書斎で物を書くという。
以前、選挙での近所の喧噪をさけるために、
高野山宿院の二月堂に籠もって仕事をしたことがあるという。
そこは檜皮葺の屋根、濡れ縁、中庭の苔のしとねなど、
昔の公卿の屋敷かと思われるような素晴らしさで、
これから書こうというmotifにぴったりの環境だったのだが、
結局は、何も沸き上がってこず、早々に下山したという。
大阪の東の端の、都会の猥雑な場末の、
その中にある西洋建築まがいの普通の家、
さらにその中にあるひっそりとした書斎でなければ、
中世の山河を想像できないのだという。
以前、ある大阪の大学に用があって行った際に、
司馬遼太郎の家が近くにあるというので訪れたことがある。
書斎を是非、見てみたかったのだ。
いや、肌で感じてみたかったと言うべきか。
今、司馬遼太郎の家は建築家の安藤忠雄氏によって博物館に建て替えられ、
中を閲覧できるようになっている。
中庭を通って邸に入る。
中庭、といっても造園されていない庭にモチノキやヤマモモなどの
雑木が植えられているだけ。
庭から丸見えになっている書斎も、
書物と本棚、雲形机と何種類かの椅子が何組かあるだけ。
およそ趣味的な書斎ではない。
しかし、そこには氏でなければわからない、
何というか、ケツの座りの良さというかなんというか、
得体の知れない心地よさがある、
非常に居心地のいい空間だっただろうと思った。
彼はここで精神を遊離させ、
まるで子供のように時空を往来し、
室町の四条の辻に立ち、
小山評定を傍らで眺め、
池田屋では近藤の肩越しに宮部を見つめ、
旅順の要塞を空から揚々と見たりした。
秀吉や高田屋嘉兵衛、龍馬、正岡子規や秋山兄弟などは、
とてもいい遊び相手であったに違いない。
そして、手だけが原稿用紙の上を動いた。
書斎とは、そのための飛行場なのである。
ここですごく楽しいことがおこっていたんだなあ、と思った。
そして彼の手が勤勉に原稿用紙に記してくれたおかげで、
私も秀吉の才能や人間味を知り、龍馬の志を知ることができた。
そういう書斎が欲しいな。
家を建てるときがあったらぜひとも、私も私の飛行場を創りたい。
私が後世の誰かに何を遺せるかわかりませんが、
少なくとも私が生きたという証にはなるだろう。
書斎が欲しいです。