昨年晩秋、幼なじみの親友を白血病で亡くしてしまった。
1年半にも渡る激しい闘病生活に付き合ってきただけに、
悲しみもひとしおで、訃報に接しては何日も泣き濡れていた。
弔辞を読むにあたっては涙で声が出なかった。
それがようやく半年を経過して、人に語れるようになってきた。
私もリハビリが必要だったのだ。
昨年の今頃。
私の判断から、とある事情で、
同級生を中心に急いでカンパをお願いしたことがある。
一人数万円という高額な単位でお願いしたが、
「願わくば我らの祈りが病魔を打ち破る破弾の射手とならんことを」
という内容で事情を丁寧に説明し、カンパのお願いメールを送ったら、
ものの半日足らずで予定の10倍の金が集まった。
一番早く振り込んで来たヤツは、
メールしてから30分もしないうちに無条件で10万円振り込んできた。
ヤツは当時、上海にいたにもかかわらず。
給料の半分だぞ。
友情というものは軽々と万里を越える。
しかし、結果だけみるとそのカンパは裏目に出てしまったようにも思える。
今、考えている。
我々の、とりわけ自分のしたことは正しかったことなのだろうか・・。
よく自分のモットーは「後悔しないで生きる」ことだという人がいるが、
後悔のない人生などありえるだろうか?
後悔しないで生きるとしたら白痴のように生きるしかないじゃないか。
人生と後悔は、ほぼイコールだ。
だから後悔から逃げずに、正面切って、それを大事に抱いて生きるのだ。
2006年9月6日の夜。
秋大医学部の古ぼけた病棟の頼りない無菌室に入って、
最後の激励と再会の約束を交わす彼と俺たち。
誰一人、声を出して泣く人はいなかったけれど、
彼の目にも俺の目にも誰の目にも涙があふれていたよ。
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