そういえば、正月に天童に行ったんだった。
山形のカミさんの実家で、毎日毎日食っては飲んで親戚に失礼な暴言吐いては酔いつぶれてスヤスヤ寝る自分にかなり嫌気が差し、疾風迅雷!実家を脱出!
一路、車をぶっ飛ばして単身で米沢へ。
→上杉神社考
その帰りにそういえば天童に行ったんだった。
今までは「天童=将棋の駒」というどうでもいいようなイメージだったので、
何度も行ったことがあるんですが完全スルーしてました。
が、天童織田藩。
天童はあの織田家が明治維新を迎えた地なんですね。
ふと思いついて、まずは建勳神社に参拝。
社の中にも入りましたが、なんと織田信長が祀られてます。
山形ってすごいですね。
上杉謙信も織田信長もすべて最終的にはすべて山形です。
伊達はもともと山形だし。
生前、陽光輝く尾張で生まれた信長。
山形弁の男女が雪の中、なんか言いながら賽銭を放り投げる。
非常に違和感あるんですが・・。
悠久の歴史のなせるミスマッチに感動。
信長については知られすぎてるので、
多く語りませんが尊敬する人物の一人です。
信長の生まれ変わりだと思っている人は10万人くらいはいるでしょうが、
その人たちが「俺は信長の生まれ変わりだ」と主張するたびに、
「あほだな~この人、本当は俺なのに」と心の中で秘かに思っていたくらい。
日本が生んだ世界に通用する天才ですね。
桶狭間ひとつ例にあげても、
古今東西広しといえど騎兵の本質を機動力にあると見抜き、
しかも実践して勝利したのは、源義経、チンギスハーン、ナポレオン、フリードリヒ大王、モルトケ、そして信長だけだといいます。
こういうことや、さらにその他の企画・政策から考えても、
信長は決して武を好むだけの粗放な男ではなく、
旧体制を壊して新しい社会、秩序を創造するだけの基本的な施策を持っていた点で、同時代の同業者、武田信玄や上杉謙信、毛利元就たちとは根底から違うんだと思います。
「そもそもどうなのよ?」
という素直に本質を見抜く眼力、感覚を持っていた人なんだと思うんです。
それに基づいた理念。
そして行動力。
だからこそ、戦国という日本史の暗闇の一隅を照らす眩しさを信長は持っているんだと思う。
さて、今。
かくいう自分も歴史のど真ん中にいる。
願わくば未来にかかる闇の一隅を照らす人物になりたいと思った3?歳になる前日、昼休み。
今から一人でナポリタン食べに行きます・・。
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