もう一つ、見過ごせない根強い説がある。
ロシア人起源説である。
これはなまはげロシア人説とも共通しているが、全くの見当外れである。
この話をするには、まずロシア人の歴史を知らなければならない。
ロシア(極東地域)は現在の地図で見ると、
秋田と地理的に近いので気軽に混血できたと思われがちですが、
ロシア人はもともと、モスクワ平原あたりにいたスラブ人の一派です。
しかも白人とはいえども、もともと文化レベルは非常に低く、
スカンディナビアあたりから下ってきた
ノルマン人の一団に統治をお願いするなどしてちまちまやってましたが
(ノヴゴロド公国やキエフ公国、現在のウクライナ)、
かなりの長い期間、モンゴル騎馬民族(バトゥのキプチャク汗国やシビル汗国)の
支配のもと、圧政を敷かれ、奴隷の如く生きてきたのがロシア人です。
これを「タタールの軛」といいます。
(チンギス・ハーンの孫 バトゥ・ハーン)
地中海の国々ではルネッサンスを謳歌していた頃、
ロシア人はまだモンゴル人の奴隷、娼婦でした。
というのは常識で、高校の頃、世界史で習いました。
それが、モンゴル騎馬民族の没落とともに、
帝政が始まり、イヴァン雷帝、ピョートル大帝、女帝エカテリーナなどの独裁的な専制君主を経て、国、民族の形が定まり、
(雷帝 イヴァン4世)
ようやく獣皮の需要から極東に進出してきたのは、
せいぜい今から200年前程度。
その当時、すでに日本は江戸封建制という高度な統治システムを自前でもってました。
彼らが秋田近海に姿を現すようになるのも、佐竹家よりもかなり遅いんです。
現在のように本格的に極東に白人が移住してきたのはスターリンの時代になってから。
このへんは、司馬遼太郎氏の「ロシアについて」に詳しい。
そういう事実や事情があるので、それ以前に極東にロシア人はいない。
いたくてもいようがない。
モンゴル騎馬民族はそんなに甘くない。
だから、ロシア人との大々的な混血など不可能であり、
何かの理由(難破など)で秋田沿岸に辿り着くことなどもありえない。
そういう意味であればむしろ、
シルクロードや海のみちを縦横無尽に往来していたペルシャの商人や
ポルトガルの冒険家の方がまだ可能性がある。
しかし彼らの身体的特徴は必ずしも「白く透き通る肌」ではないだろう。
また、仮にたとえ、
数人あるいは数十人のロシア人が流れ着いて混血したとしても、
秋田美人という人間集団の一系統を形成するほどになりえない。
秋田美人もなまはげもロシア人が起源ではない。
(日本人を舐めきってるロシア人女子高生ども)
ロシアの血など借りなくとも秋田美人は成立しているのだ。
次回へ続く→「秋田美人考 ~その定義など」
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