もともと耕作に向かない冷たい東風が吹く高原のくに、南部岩手。
江戸時代の約250年間だけで、29回の飢饉、51回の凶作を記録している。歴史に名高い宝暦、天明、天保の大飢饉では、人が人を喰う叫喚酸鼻を呈したという。
いつの時代でも経済が軋むと政治は苛烈になる。
例によって南部藩は民衆の生命の叫び・抗いに対して、磔、獄門、打首によって報いた。自然、元来飢饉とは無縁の豊かな秋田領に逃げ込む南部の民は後を絶たなかった。
流亡する多くの飢民集団。
その南部領から秋田領へ逃げ込む民衆の中に(沢内村から千屋に真昼岳を越えて抜けるルート)、南部のキリシタンの一団がいた。
飢え、迫害され、藩境の真昼岳を越えて秋田藩領の善知鳥(現・美郷町千屋)に移住。
当時、流民に対して寛容な態度を見せていた佐竹義宣も幕府の方針によりキリシタン弾圧を開始。
南部飢民にとって唯一の光明だった善知鳥に関所を設置して遮断する。
そして善知鳥で捕縛された南部の隠れキリシタン13人を寛永元年、横手にて斬首。
あれから約400年の星霜-。
その、善知鳥の隠れキリシタンの洞穴が発見された。
2006年8月早朝、美郷町の広域農道にて佐々木○也氏(秋田市・会社経営)によって、その洞穴の看板が発見される。
彼ら彼女らが最後まで守り通したのは何か。
何を感じ、何を思い、何を信じ、何を祈り、洞穴に集まったのか。
真っ暗な礼拝堂。
その穴ぐらには、天国への階段があるに違いない。
美郷に行こう、春だし。
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