20代の頃、好んで海外に行っていたが3年前にニューヨークとかに行って以来、
海外に行きたい衝動を一時封印してこの2、3年あえて国内を集中して歩き回っている。 随分国内のいろんなところに行った。
富山、金沢、七尾、鶴岡、温海、郡山、大阪、奈良、札幌、小樽、長崎、武雄、函館、青森、深浦、横浜、成田、十和田、水沢、盛岡、花巻、築館、仙台、亘理、相馬、いわき、白石、秋保、蔵王、最上、新庄、山形、会津、喜多方、旭川、富良野、新潟、能登、水戸、市原、五島、東京、熱海、京都、徳島、佐世保、唐津、広島、博多、太宰府、弘前、十三湖、阿蘇、熊本、高千穂、佐賀、長州、馬関、沖縄・・・。
ざっと手帳に書いている地名だけでも枚挙に暇がない。
行って見聞を広め、その地の志のある士、おもしろい人、などと酒を飲み大いに語る。それによって自分を創りあげようとしているんです。
それは幕末の志士も同じことで、
特にペリー来日後、いろんな人物が諸国を遊歴した。
有名どころでは清河八郎や吉田松陰、坂本龍馬。
そして我が尊敬する河井継之助なども様々な地に赴き様々な人と交流している。
たまたま同宿の者が、酒を飲み、語り合う。
ときには激烈に語り合う。
抜刀することもある。
それが幕末流だ。
話題はもちろん時勢論である。
時代は尊皇攘夷か開国か。
現実の日本はどうなっているのか。
この時代、熱くなるのは当然のことだったろう。
志ある者はすべて、遊歴した。
その志士の中でひときわ異彩を放っている人物にある書物の中で出遭った。
その志士の名前は、
「信州松代藩士 稲葉隼人」
というらしい。
信州松代藩といえば真田幸村の兄を藩祖とする伝統ある藩で、
この時期、佐久間象山という大学者を輩出し、
教育水準の高さは天下に知れわたっている藩である。
信州松代藩士というだけで一目置かれるのである。
しかしそういう中で、
この稲葉隼人という武士の遊歴の目的はなんと!
「法螺貝の勝負」
なのである!
諸国の法螺貝名人と法螺貝を吹きくらべ、たがいに競い、
それによって、洋夷を打ち払うという大胆な思想である。
この熱い熱い時代にこんなおもしろすぎる人がいていいのだろうか。
他の志士がその志のために簡単に自らの命を賭けものにして、
そしていとも簡単に落としている時代に、
彼は法螺貝の勝負をするために、しかも真剣に諸国を歩いているのである。
信じられない! おもしろすぎ!
このくだりをとある地方の居酒屋のカウンターで
一人で酒飲みながら読んでたのだが抑えきれずにゲラゲラ大声で笑ってしまった。盃はひっくり返した。
これが笑わずにいられるか。
なんとあの河井継之助とも同宿し、法螺貝勝負を挑んでいるのである。
河井継之助の日記にはやはり、
「とるにたらざる者」と書かれてしまっているが・・。
しかしこの彼、稲葉くんが、
後世の我々をゲラゲラ笑わせようとして意識して、
この日本が史上最も熱い時期に、
法螺貝勝負をしてまわっていたとするならば、
彼は時空越えの底知れない天才芸人かもしれない。
そう考えるとそういうのもいいな、と少し思ってみた。
よろしければクリックお願いします→人気blogランキングへ