秦氏は人口交流の激しい5世紀の近畿に定着したので、
あっという間に全国に広がり、その分、血の薄まりスピードも速かったが、
秋田に来たコーカソイド団は、つい最近まで、
いや現在でも陸の孤島といわれている秋田に来た。
じーっくりその血を秋田の風土に合わせながら蒸留、定着させていったのだろう。
その血は今でも我々の体内に可憐に流れている。
いにしえ、秋田というのはこのようにして出来上がっていった。
決して、山のくにでも、高原のくにでも、米のくにでも、雪のくにでも、
美のくにでもない。
そもそも、秋田は「海のくに」なのである。
おそらく蔓延するだろう重大な誤解を回避しておくが、
秋田美人をもって、
白人種の血統の優位性などを語り、誇り、得意になりたいのではない。
だいいち、白人が優っているなんていうのは幻想だろう。
英仏近代列強が勃興するまでの1000年、
事実上、世界を制していたのはユーラシアの騎馬民族、モンゴロイドだった。
もっと原始はニグロイドだったろう。
それは本当に、どうでもいい。
要は、秋田美人の存在は、
秋田を中心とする東北西海岸が ~今は忘れられてしまったが~ シルクロードの東の果て、いや東の始まりとも言えるかもしれない世界的にも非常に重要な地域だったということであり、
世界との交通が相当古くからあったということの生き証人なのである。
おそらく、近畿地方よりもそうとう早いだろう。
それが、秋田人、いや東北西海岸人の誇りであり、
我々が世界の中で力強く存在していくための支柱なのだ。
だから北東北三県で道州制だなんて安易に言ってる人々の気がしれない。
そういう分け方はたかだかこの100年ちょっと、
明治以後になってからの薩長人官僚(大蔵省)のいい加減でご都合の良い、
しかも多分に敗戦国への悪感情で濁された枠組みだ。
何千年もの間、東北は、
奥羽山脈という分水嶺を境に自然と西と東に別れていた。
それぞれ異なるが、しかし素晴らしい文化、もしくは文明が、
遙かの古代からあるのである。
律令時代は出羽と陸奥とも言った。
我々は常にそのときどきの中央勢力に対して敗北してきた。
何度も何度も敗北してきた。
そしてそれは今も続いている。
秋田美人は実際、秋田よりも東京に多くいるだろう。
しかも多くは歌舞伎町などで安い見世物のように貶められている。
秋田からの女子高生の流出は全国一だ。
我々は今も敗北し続けている。
しかし、今後千年の秋田を考えるときに、
我々は誇りをもってそういう動きに対して反旗を立てなければならない。
「独立」が許されないのなら「自立」をしなければならない。
ほら、あなたのDNAはそれを欲しているだろう。
このことについては、またあとで書く。
いい加減、この長い物語に結論を出す。
秋田美人は決して下世話な話ではなく、
古参も新参も含めて、
この地に住む者達が「秋田」を誇りとするための、
そしてそのことを証明するための、
生きた証人たちなのである。
八郎湖の畔に聳え立つ森山に登れば、遠くハンガリア高原の山々が見えないか。
それは我々の角膜に焼き付いている懐かしい風景だろう。
そのことを秋田人はもっと自信を持って、誇りにしていい。
私の作家生命を賭けてもいい。
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