そ~のふね~に乗って、
この東北西海岸にやってきた幾多の人々の中に、
古モンゴロイド、古コーカソイドなど様々な人種の人がいた。
アイヌもこの中の一党だっただろう。
中でも秋田美人の特徴をもつグループは、
当時の人口の相当な割合を占める規模の集団だったに違いない。
先日、業務上のある必要に迫られて立地を調査検討する際に、
遺跡調査をする必要があって秋田県の詳細な遺跡分布地図を見た。
目を剥いたのはその遺跡の多さ!!!
整備はされてないが遺跡として認定されているものがかなりある。
なんと製鉄炉まである。
しかも八郎湖周辺、雄物川沿いにそれが集中している。
この海を渡って来た民は、陸の道路である河を頼りに、
雄物川、米代川、岩木川などの大河流域を中心として内陸に入っていった。
秋田美人は、津軽にもいる。
弘前のりんご娘の白いこと白いこと。
五所川原に仕事で、電車でゴトゴト出かけたことがあるが、
電車に乗ってくる女子高生はみな丸々と肥満していたが、
みな透き通るような白い肌をしていた。
同種である。
さらに、彼らは犬も連れてきただろう。
秋田犬といわれる秋田特有の犬は、同じく日本特有のどの犬とも違い、
ヨーロッパの犬種に遺伝的に近いという。
犬は、シベリアの深い森を移動中、
ナウマンゾウやサーベルタイガー、メイジドラキーなどの
amazingな野獣どもを回避するための大切な友人であっただろうし、
食肉としても貴重なタンパク源だったろう。
もしかしたら鶏も連れてきたのかもしれない。
それらは今、多少嘘臭く商品化されたりもしているが、
米代川の流域に今だに原型を残している。
地図で見れば一目瞭然だが、
その中でもっとも流域面積(居住に適した平野)が多いのは雄物川流域である。
羽州街道も奥羽本線も要するに雄物川沿線だ。
要するに現在、「秋田」と呼ばれる地域である。
秋田美人の特徴を持つ大移民団は、
この秋田という地を中心に、
東北西海岸に分布し文化・文明を息づかせ、交わり、根付く。
この沿岸・流域の遺跡群から、
スカンディナビアやカフカスにしかないはずの何かが出てきたら、
もうそのことを証する決定的なタイムリーになるだろう。
そしてそれはきっと、あるに違いない。
次回(最終回)へ続く→「秋田美人考 ~海のくに秋田」
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