Tiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮
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2007 年 12 月 14 日 のアーカイブ

「南部十左衛門信景」

2007 年 12 月 14 日 金曜日

鹿角は秋田か南部かというと、
鹿角盆地を流れる米代川が日本海に注いでいることもあり、
地理的には秋田かと思うんですが何故か、
律令時代から鹿角は陸奥ということになっている。

関ヶ原後の線引きでは南部藩領に組み入れられた。
そして尾去沢という何もないところから金が出た。
その初代金山奉行として、
南部藩から赴任してきたのが南部家の重臣・北家の北十左衛門だった。

当時の金山奉行は世にも驚くシステムになっていて、
一定の額を上納すれば、
あとはすべて自分のものになるというamazingな仕組み。
初代佐渡奉行の大久保長安なども没落まではおびただしい財力を誇っていた。
自然、十左衛門も私財が貯まりに貯まった。
なんともうらやましい。

しかし、大事にしていた息子が些細なことから藩主(南部利直)によって斬殺されてしまう。しかもどうにも納得できない非合理な理由で・・。
嘆き悲しみ悩乱、挙げ句の果てに大量の金を持ち出して出奔。
そして彼はそのまま大坂の陣に参戦し、大坂城に籠城する。

大坂方として三の丸北方を守備していた十左衛門は金にものをいわせて、
特注の矢を大量に用意。
わざわざその矢のすべてに、

 「南部十左衛門信景」

というニセの銘を入れさせたのは、
彼が出奔時から構想していたささやかな復讐だっただろう。
これにより、徳川方は大坂城に南部軍が味方しているとし、激怒。
南部藩主は幕府に謹慎させられる。

必死の弁明と捜索の結果、南部藩は取り潰しを免れたが、
捕縛された北十左衛門は藩主によって、盛岡の新山河原で処刑。
処刑はじっくりと時間をかけ、手足の指一本ずつを切り落とし、
最終的には藩主自らが弓でとどめを刺し、
死体は鷹に喰わせるという酸鼻を極めるものだったという。

なんとなく登場人物すべての人の気持ちがわかってしまってまいってしまう。
後味の悪い悲劇だ。
誰が悪いんだろうと考えてみても答えなどでない。
もっとお互いを理解し合う気持ちを大切にしなければと思います。

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プロフィール
     投稿者: TU
     紹介: 秋田市在住秋田人。会社を創業、 そして経営。現在30代前半。 人生の真夏。 好きなもの=「秋田」
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