Tiger Uppercut!~ある秋田人の咆哮
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2007 年 3 月 のアーカイブ

白河以北一山百文

2007 年 3 月 30 日 金曜日

日本人の東北に対する侮蔑意識はここから始まったのではないか。

戊辰戦争の際に勝者となった薩長中心の官軍・新政府勢力が、
朝敵となり敗者となった東北諸藩を嘲弄するためのスローガンだったんだろうが、
あまりにもひどい言いようだ。


(南部の猛将・楢山佐渡)

「白河以北一山百文」とは、
東北なんぞは山一つでも百文しか価値がない、という意味だ。
現に明治政府も今の政府も、
そういう我々への嘲弄、侮蔑を根底に持った国づくりをしてきた。

平民宰相といわれた日本で最初の政党内閣の首相、
原敬は南部藩の士で盛岡の人だ。


(平民宰相・原敬)

東北戊辰戦争の際、生保内口から始まり、鹿角口、大館、能代など、
秋田藩深くまで斬り込んできた南部軍を率いた家老楢山佐渡が
薩長に屈服して盛岡の報恩寺で切腹したとき、
人目もはばからず寺の塀沿いを
「満眼に悲涙をたたえて歩いた」というエピソードが残っている。
このとき14歳、原敬は反骨の東北人なのである。

戊辰後の人生は藩閥への挑戦に貫かれた人生だといっていい。
彼の悲願は東北に対して「白河以北一山百文」などという
薩長主体の藩閥政治を打倒し、政党による政治体制をつくること。
その彼の雅号が「一山(ichizan)」である。
無論、「白河以北一山百文」という侮辱に対する反抗である。
その気概と実行力に感服する。尊敬する。

今、仮に対岸のどこかの国と戦争になった場合、
初期防衛がうまくいかず、
北日本に敵国軍の上陸、
そして一時駐留・占領を許してしまったとする。

そのとき、日本政府は東北を切り離してしまわないか?
見放してしまうんではないか?
白河に防衛ラインを張るのではないのか?

そこんとこどうなのか。
考えると背筋が寒い。
150年前も今も、我々は日本人だ。

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     投稿者: TU
     紹介: 秋田市在住秋田人。会社を創業、 そして経営。現在30代前半。 人生の真夏。 好きなもの=「秋田」
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