私の友人に「温暖化」をよしとして、
この全地球的な社会の動きにたった一人で反発し、
山に入ってはゴミをポイポイ投げ捨て、海に行ってもゴミをポイポイ投げ捨て、
一見不必要に見えるのに無用なガソリンを、そして電力を、あらゆる資源を、
彼の経済力がそれを許す限り、
その強固な信念に従って一生懸命に浪費し続けている男がいる。
山でポイポイやっているのを目撃したときは、
さすがに胸ぐらをつかんだがそのときでさえ彼は、
「自分に非はない。正義は我にあり」
というような表情をしていた。
ちなみにこの彼、決して低能な男ではない。
学歴も高いし、知識も豊富で、考える力も強く、弁論もたつ、
その上、休日は山に何日も籠もる程の正真正銘の自然愛好家なのだ。
人あたりもよく、人間的な魅力もあり、友人も豊富にいる。
しかし一向に考えをあらためようとせず、
自然を知れば知るほどその手口はさらに巧妙になっていっているようにも思える。
経済的には決して恵まれているわけでないにも関わらず、もっと大がかりで効率的な方法で温暖化できないか、ということを常に真摯に考えているのだ。
昨年の嘘のように雪の降らない温暖な年末に、その彼が私にこういった。
「な、温暖化も悪くないだろ?」
と・・。
私は当然のごとく激怒したのだが、
そのとき、私の中の怒りが質を変えて違う方向に行ったことも同時に認識した。
「温暖化」がそもそもなぜいけないんだっけ?
ということ。
「地球温暖化」というのは絶対的な悪だと思っていて、そもそもなんなのかということは考えてみもしなかった。
そもそも温暖化とはなんなのか?
確かに暖かくなるだけなら、北半球の高緯度地方に住む人々ならば、
大いに歓迎しなければいけないところだろう。
そう考えたときに「これだ!」っていう説明が意外とないのに気づいてしまう。
儒教的論法でやられているようにも思う。
「温暖化」という言葉の印象だけつかまえると、
北国にとってはバラ色の未来にも思えたりもする。
本末転倒になっていないか、ということを再確認してみたいと思った。
夢見るエセエコロジスト全盛期のこの21世紀。
なにもそれを悪いとか嫌いだとか言うわけではないけども、
「誰に利益があり誰に損失があることなのか」
地球にとってどうのこうの、というだけでなく、
秋田にとってどうなのか、という視点も確かに欲しいところ。
このプラス6%の彼とは正反対に、
一生懸命にエコに取り組み、ライフワークとして取り組んでいる方も身近で何人も知っているし、一緒にお仕事もさせて頂いている尊敬する方も多くいる。
その「本物」の方々の願いや想いが埋もれていくのはとても耐えられない。
プラス6%の彼が我々に投げかけてくるものを単に唾棄するだけでは、
なんかしっくりこないのだ。
その点、もうちょっと関心をもって勉強してみたいと思います。
それと、言い忘れましたが私はエコロジストです。
プラス6%の彼の温暖化活動をなんとか封じようと真摯に考えています。
逮捕できれば一番いいんですが。
メールはこちら → t.uppercut@gmail.com