高知市中心街は、
駅と官庁と繁華街がくちゃっと一緒になっている感じで集中している。
秋田のようなバラバラの街割りにはなっていない。
なので中心街区がとてもイキイキとしていた。
その核となり象徴となり、精神的支柱となっているのが要するに高知城だ。
この天下の名城を歩く。
大手門に山内一豊公が鎮座
本当は土佐城というネーミングになるところが、
なぜ高知城になったかというと関ヶ原の功績で入部したこの一豊公が、
「自分はバカだから文殊菩薩の高い知にあやかりたい」
ということで「高知」になったのだとか。
当時、領主が新しく入って築城すると地名を変えてしまうというのがはやりだった。
信長の岐阜城などを最初の例にして、大坂城、筑前福岡城などもそうかな。
そして内助の功で高名な良妻・千代
板垣死すとも自由は死せず
板垣退助は暴漢に刺されたときにこう言ったというが私は信じていない。
自由民権論者としての彼はいまいちパッとしないのだ。
彼はやはり軍人として見てやらなければならないと思う。
戊辰戦争で東国の野を焼き、会津鶴ヶ城を灰燼に化したのは彼の仕事だ。
黒鉄門をくぐって天守閣へ
どどーーーんと雄壮ですよ!
中はまるで往時のまんまの空間
江戸期に一度火事に遭っただけで大きな戦災などはない
基本的には往時そのままなのだ
とーーーても雰囲気あります
秋田もウソでもいいから天守閣がないとだめだな。
久保田城跡は観光地としてはなんら魅力がない。
中心街区を何とかしようというならやっぱり城をフィーチャーしないと佐竹20万石。
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