マルクスにいわせれば、
「キリストは大工のせがれで、ソクラテスは醜いホモの老人」
ならしい。
マルクス史観はイデオロギーという厄介なものが絡み合っているので、
知識としての興味はあってもなかなか手が出ない。
その点、司馬遼太郎の書いたものはとてもいい。
「史観が何であれ、ときには史観という機械を停めて手掘りにしたりしなければならない。考古学の発掘が土木機械では出来ないように、やはり歴史と言うものは、そういう具合に手堀りを加えたりしないと、うまくつかめない。(「手掘り日本史」) 」
司馬遼太郎はビルの屋上から地上を見下ろすような視点で歴史を描いている。
いわゆる鳥瞰、バードアイで物事をそのまま見、
そこで起こった現象を手で掘り返し、
生身をつかむということのなんとうまいこと!
なにか「事業」をやるには、こういう立ち位置と史眼を持つことが重要なのだ。
会社経営ならなおのこと。
そうでないと「志」がなかなかいきてこない。
それはごく身近にいる先輩を見ていて教えられてることでもある。
この境地に近づきたいということで、ここ数年は司馬遼太郎に傾倒してみている。
会社の経営者という他に拠りどころのない身では、
自主的に自分をそういう境地にまで昇華させていかなければ、
なかなか長いスパンに渡って成長を持続し、
最終的に「成功」を手にすることは難しい。
私の場合は、日々の仕事や酒、自然、旅などもそうであるように、
「司馬遼太郎を読む」ことも大いに役立っているのだ。
(成長してるかどうかはあやしいといえども・・)
さてそういうことで今、
司馬遼太郎の名作中の名作といわれる「空海の風景」を読んでいる。
まだ1/3も読んでいないのでなんともいえませんが、
ある疑問がページをめくるたびに強くなっていく。
それは・・・、
「空海はただセックスしたかっただけなのでは???」
ということ・・・。
まさかそんなことが主題ではないんでしょうけど・・。
うーん、まだまだ私は読む力が足りん・・。
でもページをめくるのがとても楽しみだ。
読み終わったらまたreportしたいと思います。
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